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【カタルーニャの個性溢れる建築家】アントニ・ガウディの作品群【スペイン・世界文化遺産・1984年・(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ)】

2022年9月4日

サグラダ・ファミリア

出典https://sagradafamilia.org/en/


*本ページはプロモーションが含まれています。

はじめに

世界最高の建築家の一人アントニ・ガウディ。
その世界遺産に認定されている作品のほとんどはスペイン・バルセロナにあります。
バルセロナの象徴であり現在もなお建設が続いているサグラダ・ファミリアもまた、ガウディ作品の一つ。
今回はアントニ・ガウディとその作品群をみていきましょう。

✔︎ ガウディの生涯がわかる。
✔︎ ガウディの世界遺産作品が時系列にわかる。
✔︎ ガウディの建築デザインが時系列で理解できる。
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◾️アントニ・ガウディの作品群の概要

古今東西の折衷様式を唱えたモデルニスモの代表的建築家アントニ・ガウディ(1852〜1926年)
ガウディ作品のバルセロナにある6件と郊外1件の計7件の建築が、世界文化遺産として登録されている。
1984年の登録当初は、カサ・ミラグエル公園グエル邸の3件が登録。
その後2005年に、サグラダ・ファミリア生誕のファサードと地下聖堂カサ・ビセンスカサ・バトリョ、郊外のコロニア・グエル教会地下聖堂が追加登録された。

登録基準は以下のとおり。
(i) 人間の創造的才能を表す傑作である。
(ⅱ) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値
 観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(ⅳ) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著
 な見本である。

◾️アントニ・ガウディと7つの世界遺産建築


1852年、アントニ・ガウディは、スペイン・カタルーニャ州タナゴナ県の町・レウスに生まれる(近郊のリウドムスとする説も)。
1867年の学生時代に、友人のトダ(後に外交官)やリベラ(後に外科医)とともに廃墟となっていたポブレッ修道院の修復案を作成するなど建築への関心を見せ始める。
1973年、バルセロナ建築学校に進学し、本格的に建築を学び始める。
学費を得るため、建築家ジョゼップ・フォンセレのもとで働いたり、師であるフランセスク・デ・パウラ・ビリャルやジョアン・マルトレイのもとで製図家として働いた。
1978年、ガウディが学士号を受ける際、校長アリアス・ルジェンに「目の前にいるのが狂人か天才かわからないが、時が明らかにするだろう」といったとされる。
後にガウディは、カタルーニャ地方で興った芸術運動モデルニスモ(フランスのアール・ヌーヴォーと類似した芸術様式で、曲線や華やかな装飾性が特徴。)を代表する建築家と評される。
1887年、ガウディは建築士の資格を取得する。
この頃、バルセロナ市内のレイアール広場などの街灯を設計している。
建築家アントニ・ガウディ(1852〜1926年)

建築家アントニ・ガウディ(1852〜1926年)

レイアール広場にある街灯

レイアール広場にある街灯

そして、ガウディにとって生涯の友人であり、パトロンとなる実業家エウセビ・グエル(1846〜1918年)と出会う。
1883年、ガウディにとって最初の大型プロジェクトに着工することになる。
それがカサ・ビセンスだ。

実業家エウセビ・グエル(1846〜1918年)。ガウディにとって生涯の友人であり、パトロン

実業家エウセビ・グエル(1846〜1918年)。ガウディにとって生涯の友人であり、パトロン

◉カサ・ビセンス(1883年着工〜1889年竣工・バルセロナ)

レンガやタイル工場の社長であったマヌエル・ビセンスとその家族の住居として建設された。
このとき、ガウディは26歳。
カサ・ビセンスの特徴は、極めてシンプルな構造と過剰なまでの装飾である。
多彩色タイル、幾何学的なフォルムがイスラム建築から、また動物や植物を表した自然主義的モチーフに東洋芸術からの影響を受けている。
タイルに描かれたマリーゴールドの花は、敷地に咲き乱れていたことにちなむ。
鉄柵や手すり、窓の鉄格子の金属細工には、シュロの葉、クモの巣、ドラゴンがモチーフとなっている。
また窓の鎧戸は日本からの影響も感じさせる。

カサ・ビセンス

カサ・ビセンス

マヌエル・ビセンスは1895年に死去し、1899年にアントニオ・ジョベル医師の手に渡った。
1969年、スペインの歴史芸術モニュメントに認定。
2005年、ユネスコの世界遺産に登録。
2014年、アンドラのモラバンクが購入し、2017年11月に一般公開された。

カサ・ビセンス。幾何学的な金属細工

カサ・ビセンス。幾何学的な金属細工

なお、カサ・ビセンス着工の1883年には、早くもガウディ終生のプロジェクトとなるサグラダファミリアの主任建築家に着任している。

◉グエル邸/パラシオ・グエル(1886着工〜1890年竣工・バルセロナ)

 
1885年、バルセロナ万国博覧会を3年後に控え、バルセロナでは城壁の取り壊しにより都市拡張計画が進んでいた。
既にグエル別邸でのガウディの仕事ぶりに感銘を受けていたエウセビ・グエルは、両親家族と住んでいたランブラス通りの近くに新たな都市型住宅の建設を依頼した。
このとき、ガウディは34歳。
グエル邸の特徴は、外側は簡素で内側は豪華である。
外観では、邸宅のファサード(建物の正面から見た外観)をランブラス通りの賑わいとは一線を画すため、装飾を抑えた厳格な雰囲気にした。

グエル邸/パラシオ・グエル

グエル邸/パラシオ・グエル

グエル邸の外観。カタルーニャ紋章上の「不死鳥」はカタルーニャのレナセシェンサ(再生)を象徴。

グエル邸の外観。カタルーニャ紋章上の「不死鳥」はカタルーニャのレナセシェンサ(再生)を象徴。

一方の内部では、建物内部に社交活動の場「中央サロン」をつくり、そこを中心に各スペースを配置するとともに、上部は吹き抜けにして、キューポラ(建物上部にあるドームのような構造体。明りとり、換気、展望に使用される。)を通して光を取り入れる構造にした。
ローマ建築、イスラム建築における宮殿では、アトリオという中庭のまわりに各部屋が並べられたことにインスピレーションを受けた。
また、コンスタンティノープルのアヤ・ソフィアにガウディは感銘していたといわれており、上部ドームにその影響があるとされる。

グエル邸の中央サロン。社交活動の場であり権力や財力を誇示する場所。豪華な装飾で埋め尽くされる。

グエル邸の中央サロン。社交活動の場であり権力や財力を誇示する場所。豪華な装飾で埋め尽くされる。

地階は厩舎として考案され、巨大な円筒形の柱や馬をつなぐ動物の装飾がある。

グエル邸の地階は厩舎として考案された。

グエル邸の地階は厩舎として考案された。

屋上テラスは、イマジネーション溢れる幻想的空間となっている。
陶器、ガラス、大理石、磁気、砂岩等を使ったトランカディス(破砕タイル)で外装された、煙突が20本。カテナリーアーチ型(ロープの両端を持って垂らしたときにできる曲線の型)の天窓。中心には太陽とコウモリの風向計とギリシャ十字を掲げた頂塔がある。

グエル邸屋上の破砕タイル煙突

グエル邸屋上の破砕タイル煙突

グエル邸屋上の頂塔。キューボラの外観部分になる。

グエル邸屋上の頂塔。キューボラの外観部分になる。

◉グエル公園(1900年着工〜1914年頓挫・バルセロナ)

1898年にエベネザー・ハワード(1850〜1928年。近代都市計画の祖。イギリスの社会改良家)は「明日の田園都市」を出版。
ハワードは、アーツアンドクラフツ運動の生みの親ウィリアム・モリス(1834〜1896年。イギリスの詩人。デザイナー。マルクス主義者)の反産業主義に従い、郊外生活と都会生活の優れた点を組み合わせて、人口を限定した「田園都市構想」を提唱した。
同じ頃、エウセビ・グエルもまた、早急な産業化が、キリスト教的価値観やカタルーニャの伝統が失われていることを感じ、ハワードの田園都市構想を応用したプロジェクトをガウディに提案した。
現在のトゥロ・デル・カルメル地区に広大な敷地を手に入れ、ガウディはカタルーニャやキリスト教のシンボルを配した集合住宅地を設計、建造物を生み出した。
公園全体のコンセプトは、入口にある装飾性の高い二棟の建物(社会の世俗性の象徴)から、遊歩道(巡礼路を象徴)を通って高台にある礼拝堂を目指すという「清めの道」となるものだった。

世俗の象徴たる建物(管理棟・守衛小屋)

鮮やかな色彩やエキゾチックな要素でつくられ、地上と天界を分ける境界的役割を持っている。
入口の右手にある守衛小屋は、「お菓子の家」のような外観の建物。
窓の周辺にある破砕タイルは、色違いのカラフルなものであり、キューポラの屋根には逆さまのコーヒーカップが埋め込まれている。
これはコーヒー習慣を絶つ宣言だという。
左手には管理棟がある。
サルバドール・ダリは「砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ」と評した。

グエル公園。入口右手の守衛小屋

グエル公園。入口右手の守衛小屋

シンボルのドラゴンと蛇

入口正面から二棟の建物を通り過ぎると、左右の擁壁に挟まれた昇りの主階段に至る。
主階段を登っていくと、その中央部には、緑に囲まれた第一の噴水、第二の噴水、上部の噴水がある。
第二の噴水には、カタルーニャ紋章と蛇の頭(モーゼが荒野を横断した際に杖の先端に掲げた青銅の蛇・ネフシュタンを象徴)が置かれている。

グエル公園の正面

グエル公園の正面

グエル公園。第二の噴水にある蛇の頭

グエル公園。第二の噴水にある蛇の頭

さらに上部の噴水には、公園で最も有名な破砕タイルのウロコを持ったドラゴンがいる。
古代ギリシャのデルフィのアポロン神殿にある泉の守護神「ピュトン」、錬金術における火の象徴「サラマンダー」、またはグエルが学生時代を過ごしたフランスのニーム紋章の「ワニ」とする説がある。
公園内でも人気のスポットだ。

グエル公園。上部の噴水にあるドラゴン。公園のシンボル的存在。

グエル公園。上部の噴水にあるドラゴン。公園のシンボル的存在。

市場の列柱の森

主階段上には、古代ギリシャのドーリス式列柱の森が広がる。
柱はモルタルやリサイクル資材でつくられた86本の柱が、上部の広場を支えている。
天井は半球状ヴォールト、柱下部は白色破砕タイルで覆われている。
市場の下には貯水槽となっており、広場に降った雨水を、列柱を通して貯水槽に送られる仕組みとなっている。

グエル公園。市場のドーリス式列柱

グエル公園。市場のドーリス式列柱

広場と蛇行ベンチ

市場の列柱を通りさらに階段を登ると、高台にある広場がひろがり、眼下にはバルセロナの町並みと地中海が広がる。

グエル公園広場。非常に日当たりの良い場所。バルセロナの町並みや地中海が見渡せる。

グエル公園広場。非常に日当たりの良い場所。バルセロナの町並みや地中海が見渡せる。

ギリシャ都市国家ポリスの広場「アゴラ」に着想を得たという巨大な集会所、レクリエーション場所として設計された(86m×43m)。
外縁には、手すりを兼ねている波打つベンチに囲まれており、蛇行ベンチもまたカラフルな破砕タイルで装飾されている(ガウディの助手ジュゼップ・マリア・ジュジョールの貢献が大きかった)。
背もたれ部分は、最も座りやすいフォルムをガウディが特定したものだという。
ベンチの外装は、キュビズム(パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって生み出された、対象を複数視点から見たイメージを、一枚の絵の中に集約した表現)シュルレアリスム(フロイトの精神分析とマルクスの革命思想を基盤とし、無意識の探求・表出による人間の全体性の回復を目指した運動)の先駆けともいわれる。

グエル公園広場にある蛇行ベンチ。多色破砕タイルが美しい。

グエル公園広場にある蛇行ベンチ。多色破砕タイルが美しい。


グエル公園広場の端には、雨どいの役目を果たすガーゴイル。

グエル公園広場の端には、雨どいの役目を果たすガーゴイル。

周遊路と高架橋

広場からは、左右にさらに高台への周遊路が続く。
地元産の石で自然と調和させながら、さまざまな高架橋がつくられた。
これにより周遊路(ロザリオの道)への流れをスムーズにし、かつ敷地内の高低差を解決していった。
最終的に最も高い位置の礼拝堂に至り、「昇天」を象徴させるコンセプトであった。
(礼拝堂は実際にはない。)

グエル公園。周遊路と高架橋

グエル公園。周遊路と高架橋


グエル公園。周遊路と高架橋

グエル公園。周遊路と高架橋

1914年に建設工事が頓挫し、予定した60戸の集合住宅地にはわずか2戸の住宅のみだった。
(買い手はガウディ本人とグエルだけであったという。)
1922年、公園とともにバルセロナ市へ寄付され市営公園となった。

◉カサ・バトリョ(1904年着工〜1906年竣工・バルセロナ)

繊維業の実業家ジュゼップ・バトリョは、ガウディの恩師でもあったエミリ・サラス・コルテスの建物を所有していた。
隣接するカサ・アマトリェール(プッチ・イ・カダフェルク設計)の華やかさと比べ、控え目な外観であったことから、バトリョは52歳で人気絶頂にあったガウディに設計を依頼した。
ガウディは構造を維持しながら建物を改装するという方法をとった。

正面のファサードは、上部屋根ではタイルを使って巨大な爬虫類のようなフォルムに仕上げた。
中央部分では、陶器やガラスで覆われ、海に浮かぶ泡のような淡く色彩豊かな表現になっている。
下部には、石を使って頭蓋骨やカーニバルマスクのようなフォルムが表現されている(「骨の家(Casa dels ossos)」というあだ名もある)。
全体に凹凸が施され、太陽の動きによってファサードに躍動感を与えている。

カサ・バトリョ。正面外観のファサード

カサ・バトリョ。正面外観のファサード


カサ・バトリョと隣接するカサ・アマトリェール。プッチ・イ・カダフェルク設計。

カサ・バトリョと隣接するカサ・アマトリェール。プッチ・イ・カダフェルク設計。

内部では、共用スペースを全面的にレイアウトし直し、各階の採光と換気を高めるように設計された。
上階の藍色から下階の水色まで5段階の青いグラデーションのタイルが使われ、海中にいるかのような印象を与える。

カサ・バトリョ内部。青いグラデーションのタイル

カサ・バトリョ内部。青いグラデーションのタイル

屋根裏は、白漆喰レンガ造りのカテナリーアーチとし、温度レギュレーターと設備関係スペースとしての役割が設計された。

カサ・バトリョの開放的な屋根裏

カサ・バトリョの開放的な屋根裏

屋上は、4つの煙突群や換気塔が、多色破砕タイルで色彩鮮やかに覆われ幻想的な空間となっている。
また正面ファサード側にある、円錐形の塔は球根に十字架がついたフォルムである。

カサ・バトリョ屋上。破砕タイルで覆われた煙突群や換気塔は幻想的だ。

カサ・バトリョ屋上。破砕タイルで覆われた煙突群や換気塔は幻想的だ。


カサ・バトリョ屋上の正面ファサード側に、球根状の塔がある。

カサ・バトリョ屋上の正面ファサード側に、球根状の塔がある。

◉カサ・ミラ/ラ・ぺドレラ(1905年着工〜1907年竣工・バルセロナ)

実業家で新聞発行主でありモヌメンタル闘牛場の興業主であるペレ・ミラと、ロゼ・セジモンの夫妻は、新居の設計で、ミラの父親の事業仲間ジュゼップ・バトリョの邸宅改装プロジェクトを仕上げつつあったガウディへ依頼した。
54歳のガウディは円熟期に達しており自由裁量を求めていたが、施主の予算やデザインに対する考え方の違いから亀裂が生じていた。
だが、これがガウディのバルセロナにおける最後の民間作品となった。

ファサードが、あたかも砂丘か溶岩の波のような雰囲気で、石の塊のようであったことから「ラ・ぺドレラ」(石切場を意味する。)と呼ばれた。
太陽の動きに合わせ、表面には地中海の波のうねりを思わせる光と影が生み出される。
手すりは、廃鉄をリサイクルしたもので自然主義的な動植物をモチーフとしている。

カサ・ミラ/ラ・ペドレラ

カサ・ミラ/ラ・ペドレラ

従来の建築では、建物の荷重を支える耐力壁を使用することが一般的であったが、カサ・ミラでは柱や天井梁で荷重を支える方法が採用された。
これにより居住者のニーズに応じて、自由に間取りを決めることができるようになった。

内部には2つの中庭があり、建物全体に開放感、高い換気性と採光性を与えた。
屋根裏にはレンガ造りの連続アーチが続き、温度を一定に保つと同時に作業場として使えるようになっている。
また、地階にはバルセロナで最初の自動車用ガレージが設置された。
居住区には現在でも4世帯が居住している。

カサ・ミラの中庭

カサ・ミラの中庭


カサ・ミラの屋根裏

カサ・ミラの屋根裏

屋上は、グエル邸やカサ・バトリョで試してきたデザインの完成形となっている。
立ち並ぶ煙突や換気塔、階段出口は、本来の機能だけでなく、魅力的な彫刻作品となっている。
破砕タイルも使用されているが、落ち着いたカラーとなっている。

カサ・ミラの屋上。鉄仮面のような煙突が印象的だ。

カサ・ミラの屋上。鉄仮面のような煙突が印象的だ。

◉コロニア・グエル教会地下聖堂(1908年着工〜1914年未完終了・バルセロナ郊外サンタ・コロマ・デ・セルベリョ)

1890年に時代がややさかのぼるが、実業家グエルは、バルセロナ郊外のサンタ・コロマ・デ・セルベリョに繊維工場を建設したことに伴い、労働者のための住宅街、社会文化施設、住人用の礼拝堂などを備えたコロニア・グエルの建設に着手していた。
当時は小さな礼拝堂が、共同体の教会として使用されていたが、手狭になったことから、1989年にガウディに新たな教会建設を依頼した。
だが、ガウディは長期間に渡って実験的な構造研究を実施していたので、実際に着工したのは10年後となった。
ガウディの研究内容は、控え壁や耐力壁を必要としない有機的構造を目指すものであった。
それは放射線アーチや凹凸ヴォールト(アーチ形状の天井様式の建築構造。穹窿。)を基本とした構造で、後々サグラダファミリアにも適用された。
また、模型を使った構造システムの研究方法を開発、アーチの角度やヴォールト、壁のボリュームを決めるものだった。

正面外観のファサードは、建物の荷重自体が柱やアーチに流されていたため、耐力壁として機能する必要がなくなり、有機的なフォルムの窪み、突出物がつくられ独特な外観となった。
また破砕タイルにより、キリスト教の三位一体、4つの徳「知恵、正義、勇気、節制」、神学三徳「信仰・希望・愛」がモザイクで表現された。

コロニア・グエル教会地下聖堂外観。出典:http://www.portalgaudi.cat/ja/edificisja/cripta-de-la-colonia-guell/

コロニア・グエル教会地下聖堂外観。出典:http://www.portalgaudi.cat/ja/edificisja/cripta-de-la-colonia-guell/

聖堂内部は、42本の傾斜をつけて枝分かれした対荷重用の柱に支えられ、花弁と十時の重なりあうカラフルなステンドグラスが彩っている。

コロニア・グエル教会地下聖堂内部。出典:http://www.portalgaudi.cat/ja/edificisja/cripta-de-la-colonia-guell/

コロニア・グエル教会地下聖堂内部。出典:http://www.portalgaudi.cat/ja/edificisja/cripta-de-la-colonia-guell/

1914年にガウディの協力者で友人のベレンゲールが亡くなり、教会建設プロジェクトを辞し、以降はサグラダ・ファミリアに注力する。

◉サグラダ・ファミリア教会(1883年着工〜2026年竣工予定・バルセロナ)

1872年、バルセロナの書店主で敬虔なキリスト教信者であるジュゼップ・マリア・ボカべリャは、イタリアからの巡礼帰路に、信者の寄付金による贖罪聖堂(サグラダ・ファミリア)を建設する意志を固めていた。
新市街地であったアシャンプラに広大な敷地を手に入れ、建築家フランセスク・デ・パウラ・ビリャルに設計を依頼した。
ビリャルはネオゴシック様式の建物を考案していた。
だが、ボカべリャのアドバイザーである建築家ジョアン・マルトレルと対立して監督を辞任してしまった。
そして1883年、当時31歳でカサ・ビセンスに着工したばかりのガウディが主任建築家となった。
ガウディは建築家人生の大半を占める43年間をこのプロジェクトに捧げることになる。

サグラダ・ファミリア

出典https://sagradafamilia.org/en/

外観

生誕のファサード

1894年に建設開始し、1932年に完了。
4本の鐘塔を持つ。
左手の「望徳の門」、中央の「愛徳の門」、右手の「信徳の門」があり、それぞれ聖ヨセフ、キリスト、聖母マリアに捧げられている。
イエス・キリストの人間的、家族的な場面が描かれ、愛徳の門の上部には「聖母マリアの戴冠」の場面が彫刻され聖家族(サグラダ・ファミリア)が表現されている。
ハトやカメ、ペリカンや、生命の樹といった動植物が描かれる。
なお、スペイン内戦(1936〜1939年。マヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府と、フランシスコ・フランコを中心とした右派反乱軍とが争った)で破壊されたロザリオの扉口は、日本人彫刻家の外尾悦郎が彫り直している(2013年からは主任彫刻家)。

生誕のファサード。聖母マリアがイエス・キリストより戴冠する様子。

生誕のファサード。聖母マリアがイエス・キリストより戴冠する様子。


生誕のファサード。カメは長寿であることから「変わらないもの」の象徴。

生誕のファサード。カメは長寿であることから「変わらないもの」の象徴。

受難のファサード

1986年、彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラクスが、ガウディ生前の構想を尊重しながら彫刻群を製作することになった。
キリスト受難の物語を、最後の晩餐から聖墓に至る物語を「S字を下からなぞる」時系列で表現した。
(最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ピラトと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴、そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエス)
その特徴は、直線を使った図式的なフォルムで、一切の装飾性を排除したものとなっており、生誕のファサードとは異なったものとなっている。
ガウディは「このファサードが余りにも常軌を逸脱していると思う人がいるかもしれない。しかし、私は恐怖心を感じさせたかった。それを達成するためには、明暗を採用することにやぶさかではない。」と言い残している。

生誕のファサード。鞭打ちの刑の場面。

生誕のファサード。鞭打ちの刑の場面。


生誕のファサード。聖ベロニカがイエスの汗を拭った聖布を掲げている。

生誕のファサード。聖ベロニカがイエスの汗を拭った聖布を掲げている。

栄光のファサード

イエスの栄光を表す。未完成。

イエス・キリストの塔

教会の中央ドームにあたり、最も高い172mに達する見込み。
4本腕の十字架がシンボル。

聖母マリアの塔

教会の後陣にあたり高さ120m。
大きな星型がシンボル。
2021年12月、完成済みの尖塔としては最も高く(138m)全18基の中でも2番目に高い塔となる聖母マリアの塔が完成したという。

四福音書家の塔

キリストの塔を取り囲む、高さ125mの4本の塔。

十二使徒の塔

生誕のファサード、受難のファサード、栄光のファサードにそれぞれ4本、計12本が高さ110mの鐘楼として設計された。

教会内部

従来、教会の回廊は教会建物の傍にある中庭の周囲に設けられた。
だがサグラダ・ファミリアでは教会全体を取り囲むように回廊が設けられている。
教会の身廊(入口から祭壇にかけて続くスペースのことで、教会堂の中央に配される。)は、高い精神性を備えた壮大な森と考えられ、樹木のように枝分かれし林立する柱で構成されることで、控え壁(バットレス)が無くとも、巨大な建物を支持できるようになった。
樹木の梢からは、窓からの鮮やかな光が差し込む構造になっている。

教会内部の主身廊

教会内部の主身廊


教会内部の主身廊天井。巨木のような柱が枝分かれして建物を支える。

教会内部の主身廊天井。巨木のような柱が枝分かれして建物を支える。

1926年、路面電車との交通事故によりガウディは命を落としてしまう。
73年の生涯を閉じたとき、完成していたのは礼拝堂、後陣、回廊、生誕のファサード、4本の塔のみだった。
工事再開は大戦後の1954年となってしまう。

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■参考文献・ご当地グッズなど


世界遺産検定の1級以上を目指す人のテキスト。網羅性が高く眺めるだけでも楽しめ、世界遺産から多くを学べる必携本です!

一家に1セットあるべきと考えてますが、旅行先の周辺世界遺産を調べるのにも便利です。

世界と日本の建築の歴史がヴィジュアル付きで概観できるのでパラパラめくるだけでも面白い。

バルセロナ在住の建築スペシャリストによるガウディ建築案内で、世界遺産以外も取り上げられています。

ガウディ生誕150周年を記念し、日・米・西で同時出版された書籍の復刻版で、建物細部にもフォーカスしています。
【中古】サグラダ・ファミリア: ガウディとの対話

主任彫刻家である外尾悦郎さんが読み解く世界遺産サグラダ・ファミリアの写真集です。

外尾悦郎さんは日本人ながらも海外の地で、世界遺産サグラダ・ファミリアに長年貢献し続けておられます。日本人の誉れです。

ガウディ以外にもスペインの人物をとりあげた新書です。

スラムダンクやバガボンドで有名な井上雄彦さんがガウディに迫ります。
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バルセロナといえば。。。

■実際に訪れてみて

ガウディの世界遺産を見学するには、バルセロナ市内の地下鉄を使えば問題なく移動できます(コロニア・グエル教会を除く。)。
グエル公園は早朝に向かい、入園時間の少し前に入ることができました。
破砕タイルのドラゴンの周りにも観光客は全くおらず、ゆったりと贅沢な時間を過ごせました。
高台にある広場は、地中海から昇る眩しい朝日に照らされ、それが特に記憶に残っています。
ゆっくりと公園を楽しみたい人は、早朝が良いと思います。
ただ、バルセロナ自体、スリが多く治安がいいとはいえないので注意は必要でしょう。
地下鉄メトロの乗り方については、こちらが詳しいです。

サグラダ・ファミリアの塔には、あらかじめ予約すれば登ることができました。
登り方については、こちらが非常に詳しいです。

さて、2013年にガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定とされていたサグラダ・ファミリア。
しかし、2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に大流行した影響で、スペイン国内でもロックダウンが行われ工事が中断。
重要な資金源である喜捨やチケット収入が大きく減少したことから、完成が遅延してしまうとのことです(こちら)。
しかし、2021年には聖母マリアの塔が完成するなど着実にサグラダ・ファミリアは完成に近づいています。
遠からぬ将来、完成の暁には、必ず再び訪れたい場所の一つです。

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くろひよ

\旅のトリコ、FIRE目指す/ 旅のトリコくろひよが、旅の魅力とFIREの過程を紹介するよ ★街を徘徊して見つけた都市の魅力が好物 ★歴史・地理・地形・建築・文化・アート・痕跡・再開発など ★同じくらいお金が好物(アッパーマス層に)

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