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【アジアとヨーロッパ、イスラムとキリストを宿す】イスタンブルの歴史地区【トルコ・世界文化遺産・1985年登録・(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)】

2022年8月13日

イスタンブル
*本ページはプロモーションが含まれています。

✔︎ 文明の十字路、イスタンブルとは?
✔︎ ビザンツ帝国とオスマン帝国とは?
✔︎ 建国100年を迎えるトルコ共和国、変容する世界遺産とは?

実際の旅行経験を踏まえ、長い歴史を持つイスタンブルを、その世界遺産とともに見ていきます。

■イスタンブルの歴史地区の概要

イスタンブルの歴史地域は、トルコ最大の都市イスタンブル旧市街にある歴史的建造物群に設定されたユネスコの世界遺産リスト登録物件だ。

■登録基準
(i) 人間の創造的才能を表す傑作である。
(ⅱ) 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(ⅲ) 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(ⅳ) 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。

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■イスタンブルの歴史地区の歴史

東のアジア(アナトリア半島)と西のヨーロッパ(トラキア地方)の境界であり、南のマルマラ海と北の黒海を結ぶボスフォラス海峡にまたがる都市、イスタンブルは古来より人と物資が行き交う要衝であった。
そのため、ギリシャ、ローマ帝国(330〜395年)、ビザンツ帝国・東ローマ帝国(395〜1204年、1261〜1453年)、オスマン帝国(1453〜1922年) 、トルコ共和国と時代により支配者が変わるとともに、その名をときどき変えてきた。

◉ギリシャ・ローマ時代

紀元前660年頃、ギリシャ都市国家メガラのビザス王が、現在のトプカプ宮殿がある丘に「ビザンティオン」を創建した。
北・東・南の三方向を海に囲まれ軍事的価値が高く、交易にも適した場所である。

73年にローマ帝国の一部になると「ビザンティウム」と改められた。

◉ビザンツ帝国の時代

324年にコンスタンティヌス1世がローマ帝国皇帝になると、自身の名前にちなんでビザンティウムを「コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)」とし、330年5月11日にローマからコンスタンティノープルへの遷都を宣言、ローマ帝国の首都となった。
しかしそれも束の間、395年にローマ帝国は東西に分裂する。
それに伴い、コンスタンティノープルは東ローマ帝国・ビザンツ帝国の首都となった。

この時代に建造されたのがアヤ・ソフィアである。

アヤ・ソフィア。ビザンツ建築の最高傑作。

アヤ・ソフィア。ビザンツ建築の最高傑作。

初代の建物は、325年、コンスタンティヌス1世がもととなる教会を建設し、360年、コンスタンティヌス2世の時代に完成したという。
現在のアヤ・ソフィアは三代目で、ニカの乱(532年)で焼失したものをローマ皇帝ユスティニアヌス1世が537年に再建したものだ。
ビザンツ建築の最高傑作とされ、巨大ドーム(高さ55m・直径31m)を有したキリスト教大聖堂(バジリカ式聖堂)であった。
内部には多数の美しいイコン(東方教会の宗教絵画)のモザイク画が残っている。
中央玉座の聖母子に、コンスタンティノープルを捧げるコンスタンティヌス1世。そしてアヤ・ソフィアを捧げるユスティニアヌス1世の姿が残っている。
ローマ帝国で正式に「大帝」と呼ばれた2人の皇帝の業績を讃えたものだ。

コンスタンティヌス1世【右】がコンスタンティノープルを、ユスティニアヌス1世【左】がアヤ・ソフィアを聖母子に捧げている。

コンスタンティヌス1世【右】がコンスタンティノープルを、ユスティニアヌス1世【左】がアヤ・ソフィアを、聖母子に捧げている。


ヨハネス2世コムネノスと皇后イレーネが、マリアとイエスに捧げ物をしている。ヨハネス2世コムネノスは「ローマの帝位に就いたコムネノス家の諸帝中、最上の人物である」(ニケタス・コニアテスの『年代記』)といわれ、歴代の東ローマ皇帝の中でも屈指の名君とされている。

ヨハネス2世コムネノスと皇后イレーネが、マリアとイエスに捧げ物をしている。ヨハネス2世コムネノスは「ローマの帝位に就いたコムネノス家の諸帝中、最上の人物である」(ニケタス・コニアテスの『年代記』)といわれ、歴代の東ローマ皇帝の中でも屈指の名君とされている。


洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれたイエス

洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれたイエス

476年の西ローマ帝国滅亡を経て、東西両教会の交流が薄くなり、数百年の間に教義の解釈の違い、礼拝方式の違い、教会組織のあり方の違いなどが増大し、1054年、ローマ教皇とコンスタンティノープル総主教が相互に破門し東西教会が分裂した(大シスマ)。
東西教会の分裂以降のカトリック教会、聖公会、プロテスタント教会などの「西方教会」と対置して、「東方正教会」と呼ばれた。
アヤ・ソフィアは、東ローマ帝国時代の帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座所在地であった。
コンスタンティノープル総主教は「全地総主教」という称号を持ち、正教会の各教会の中でも第1位の格式を持つという(ただし各国の正教会は対等である。)。

コンスタンティヌス1世は、従来の城壁の2km西に城壁を築き、市域を大幅に拡張してローマに匹敵する大都市を建設した。
さらに、413年にはテオドシウス2世による大城壁が完成した。
市域をコンスタンティヌス城壁からさらに西に2km伸ばし、堅固な城壁と海によって囲まれ、壮麗な宮殿と数百にも及ぶ教会が立ち並ぶ大都市コンスタンティノープルが完成する。
大城壁の堅い守りによって、1204年の十字軍による攻略まで約800年間、外敵による占領を受けることはなかった。

コンスタンティノープルはヨーロッパ大陸最大で最も裕福な都市で、当時の世界最大の都市だった。
中世のヴァイキングも、東ヨーロッパでの拡大を通してビザンツ帝国との接点があった。
古ノルド語で、その首都であるコンスタンティノープルは、ミクラガルズ(偉大なる町)などと呼ばれた。

◉ラテン帝国の時代

だが、その繁栄も第4回十字軍(1202〜1204年。十字軍側によりコンスタンティノープルが征服され、市民の虐殺や掠奪が行われた。)の後、かげりが見え始める。
コンスタンティノープルは、カトリックの十字軍によって作られたラテン帝国(フランドル伯ボードゥアンが皇帝となる。)に支配された。
ただ、ラテン帝国そのものは短命で、ビザンツ帝国は弱体化しながらも1261年に復活した。
しかし既に、コンスタンティノープルは荒廃しており、人口は8世紀の50万人から10万人まで減少していた。

◉コンスタンティノープル陥落

難攻不落を誇ったコンスタンティノープルは、オスマン朝のメフメト2世(征服王)により、8週間にわたる包囲の末、陥落させられる(1453年5月29日。東ローマ帝国の滅亡)。
ボスポラス海峡の東側(アジア側)にバヤズィット1世(稲妻王)の時代にアナドル・ヒサル要塞が築かれていた。
今回はその西側(ヨーロッパ側)に、ルメリ・ヒサル要塞(「ローマ人の土地の要塞」)を築いて攻略の足掛かりとした。

ルメリ・ヒサル。ボスポラス海峡の西側に、メフメト2世がコンスタンティノープル攻略のため造営した。

ルメリ・ヒサル。ボスポラス海峡の西側に、メフメト2世がコンスタンティノープル攻略のため造営した。

ビザンツ帝国側の重要な守りであり補給路であった金角湾の入口には、海上封鎖の鎖が展開され、オスマン艦隊の侵入を阻んでいた。
これに対し、メフメト2世は、ジェノヴァが支配していたトプハネ地区から丘の斜面に丸太を並べさせ、動物脂を塗り、70隻余りの艦隊を牛馬で引き揚げ、金角湾へ滑り下ろさせた(オスマン艦隊の山越え)。
これにより、ジェノヴァ船による援助物資の供給は阻止され、ビザンツ帝国軍の士気をくじくことになった。
メフメト2世による最終的な総攻撃が、西側のテオドシウス大城壁の外から始まり、エディネル門近くから軍勢が雪崩れ込んで、コンスタンティノープルは陥落した(最後の皇帝コンスタンティヌス11世は行方不明となった。)。
金角湾の北側、新市街に位置するガラタ塔(ジェノヴァが支配していた。)に碑文が残っている。
「5月29日火曜日の朝、ジェノヴァ人はガラタ居留区の鍵をメフメトに差し出し、ガラタ塔の引き渡しは6月1日金曜日に完了した」

ガラタ塔。旧市街の金角湾を挟んだ北側、新市街側に立つ。

ガラタ塔。旧市街の金角湾を挟んだ北側、新市街側に立つ。


ガラタ塔に残る碑文「5月29日火曜日の朝、ジェノヴァ人はガラタ居留区の鍵をメフメトに差し出し、ガラタ塔の引き渡しは6月1日金曜日に完了した」

ガラタ塔に残る碑文「5月29日火曜日の朝、ジェノヴァ人はガラタ居留区の鍵をメフメトに差し出し、ガラタ塔の引き渡しは6月1日金曜日に完了した」


ガラタ塔から見る旧市街の夜景

ガラタ塔から見る旧市街の夜景

◉オスマン帝国の時代

コンスタンティノープルは、オスマン帝国の新しい首都として「イスタンブル」と名付けられた(そして現在に続く。)。
キリスト教大聖堂であったアヤ・ソフィアは、オスマン帝国のイスラム教モスクへと転用される(4本のミナレットをはじめとするモスクとしての装飾が残る。)。

アヤ・ソフィア内部。聖母子の左右の円盤にはカリグラフィーが記される。左はムハンマド。右はアッラー。モスクの要素が追加された。

アヤ・ソフィア内部。聖母子の左右の円盤にはカリグラフィーが記される。左はムハンマド。右はアッラー。モスクの要素が追加された。


アヤ・ソフィア内部にミフラープ(聖地メッカの方角を示す窪み)やミンバル(説教壇)が加えられた。

アヤ・ソフィア内部にミフラープ(聖地メッカの方角を示す窪み)やミンバル(説教壇)が加えられた。

また、王宮としてトプカプ宮殿の建造を開始している。
旧ビザンティオンのアクロポリスがあった旧市街の半島の先端の丘に位置する。
メフメト2世が建てたものとして「チニリ・キョシク(タイル張りのあずまや)」が残っている。
これは現在の陶器博物館として使われている。
また、最初の城門「皇帝の門」には「陸のスルタン、海のハン、人間と霊に対する神の影、東と西で神を助ける者、海と陸の英雄、コンスタンティノープル城壁の征服者」とアラビア文字の碑文が残る。
この宮殿はその後も歴代スルタンによって増築が進められ、1856年にドルマバフチェ宮殿ができるまで王宮として帝国政治の中心となっていった。
70万㎡に及ぶ広大な敷地は、皇帝の門を北へ通り抜け、挨拶の門から「外廷」へ、さらに幸福の門を抜けると「内廷」・「ハレム」と重要な施設に至る。

トプカプ宮殿・皇帝の門。メフメト2世を讃えるアラビア文字が刻まれる。

トプカプ宮殿・皇帝の門。メフメト2世を讃えるアラビア文字が刻まれる。


トプカプ宮殿・正義の塔。市街を見渡せた。

トプカプ宮殿・正義の塔。市街を見渡せた。


トプカプ宮殿・幸福の門。内廷へと抜ける門。

トプカプ宮殿・幸福の門。内廷へと抜ける門。


トプカプ宮殿・スルタンの私室

トプカプ宮殿・スルタンの私室


トプカプ宮殿・スルタンの私室のイズニックタイル

トプカプ宮殿・スルタンの私室のイズニックタイル


トプカプ宮殿から見るボスポラス海峡とアジアサイドの眺望

トプカプ宮殿から見るボスポラス海峡とアジアサイドの眺望

1520〜1566年のスレイマン1世(壮麗王・立法者)の時代は、帝国が最盛期の時代であった。
スレイマニエ・モスクは、オスマン帝国の最盛期を築いたスレイマン1世が、建築家ミマール・スィナン(東方のミケランジェロ。カッパドキア出身の元キリスト教徒でイェニチェリ出身。)に命じて造らせたモスクである(1557年竣工)。
オスマン建築の最高傑作のひとつで、大ドームの頂点の高さは53mに達する。
周辺には病院などの複合施設群をもち、商業施設の収入で礼拝堂と慈善施設の経営が行われる仕組みとなっていた。

スレイマニエ・モスク。建築家ミマール・スィナンによる。金角湾から見上げる。

スレイマニエ・モスク。建築家ミマール・スィナンによる。金角湾から見上げる。

なお、この時代にトプカプ宮殿に残るハレム(後宮。男子禁制のプライベート空間)が増築された。
これはスレイマン1世の寵姫で、ウクライナ人のヒュッレムの働きかけによるものであった。
宮廷に設けられたハレムは後々、政争の火種となる。

スルタンアフメト・モスクは、1616年にアフメト1世が建設させたモスク。
アヤ・ソフィアの南隣、アト・メイダヌ(ビザンティウムの競馬場の跡地。オスマン帝国時代には公園化され、イスラム教の祝祭でパレードに用いられた。)の東隣に位置し、一帯の地名、スルタンアフメトの由来となっている。
6本ものミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、数万枚のイズニク(古代都市ニカイア)製タイルによって青く輝くことから「ブルー・モスク」の通称で広く知られている。
この若きスルタンは、ハレムを支配し専横を振るう祖母サフィエが進めていたイェニ・モスク建設を差し止め、自らのモスク建設を優先した。

スルタンアフメト・モスク。通称ブルーモスク。

スルタンアフメト・モスク。通称ブルーモスク。


スルタンアフメト・モスク。内部ドーム。

スルタンアフメト・モスク。内部ドーム。


スルタンアフメト・モスク。内部柱。

スルタンアフメト・モスク。内部柱。

◉トルコ共和国の時代

時代は降り、オスマン帝国最後の皇帝メフメト6世が1922年11月に亡命した。
1923年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(トルコ共和国初代大統領)が、トルコ共和国の建国を宣言した。

ムスタファ・ケマルは、宗教(イスラム教)と政治を分離しなければトルコ共和国の発展はないと考え、政教分離を採用した。
憲法からイスラム教を国教とする条文を削除、トルコ語表記をアラビア文字からアルファベットへ変更、一夫多妻禁止、女性参政権導入、スルタン制廃止とトルコの近代化をはかった。
トルコ大国民議会から「父なるトルコ人」を意味する「アタテュルク」の称号を贈られ、現代トルコの国父(建国の父)とも呼ばれる。
なお、この流れの中で、アヤ・ソフィアはモスクではなく、博物館として一般公開することとなった。

オスマン帝国が滅び、イスタンブルが首都の座を退いてから100年の節目を迎える。

■旅行予約

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■参考ガイド・ご当地グッズなど


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📕一家に1セットあるべきと考えてますが、旅行先の周辺世界遺産を調べるのにも便利です。

📕世界と日本の建築の歴史がヴィジュアル付きで概観できるのでパラパラめくるだけでも面白い。

ビザンツ帝国・コンスタンティノープル時代

【中古】図説 ビザンツ帝国---刻印された千年の記憶 (ふくろうの本/世界の歴史)【中古】

📕写真が豊富なシリーズの一冊で、このシリーズはイメージをつかみやすいです。

📕薄い一冊なので気軽に取り組めます。

📕ビザンツ帝国史専門の井上先生の文庫本。読みやすく、馴染みの薄いビザンツ皇帝たちを知ることができます。

📕2020年出版の新しいビザンツ帝国史の新書。著者中谷功治さんはビザンツ帝国史を専門としている。

📕2021年出版の翻訳本で、コンスタンティノープル成立から陥落までを扱うビザンツ帝国のテーマ史。井上先生や中谷先生が関わっておられます。

📕2022年出版。1453年のコンスタンティノープル陥落にフォーカスした井上先生による翻訳本です。

📕「ローマ人の物語」の塩野七生さんによりコンスタンティノープル陥落。小説タイプなので読み易いです。本書に続くのが「ロードス島攻防記」、「レパントの海戦」となります。

オスマン帝国・イスタンブル時代


📕オスマン帝国支配を「柔らかい専制」と簡潔に表現したとても有名な一冊です。

📕興亡の世界史シリーズのオスマン帝国時代を描いた一冊となります。

📕若手オスマン帝国史研究者である小笠原弘幸さんによる新書。オスマン帝国600年がコンパクトにまとまっていてわかり易い一冊です。

📕オスマン帝国をヨーロッパ諸国との対外関係で描く一冊です。

📕オスマン帝国とヨーロッパ諸国との緊張関係を象徴するウィーン包囲を描いています。

📕小笠原先生によるオスマン帝国人物史。ありそうで無かった一冊です。人物史はとっつきやすいはずです。

📕トルコ文学史の若手研究者によるイスタンブールガイド。行ったことのある人は楽しめるはずです。

📕読書家の出口治明さんの都市史の本です。イスタンブール以外にも世界の主要都市がカバーされています。

📕アヤソフィアを中心に描かれたガイドです。

📕トルコ評論家による時代ごとの遺跡案内です。イスタンブール以外の地域も扱われています。

📕なじみの薄いオスマン帝国を漫画なら取り掛かり易いです。

📕山川出版社が関わっており、世界史の受験対策にも使えそうです。

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ドラマからなら興味を持ちやすいかもしれません。

■実際に訪れてみて・・・

トルコへはツアーで参加をしました。
トルコは広いので、各地を見学したい場合はツアーの方が、短い期間で多くの場所を見学できます。
ただ、見どころの多いイスタンブルをゆっくり見学するなら個人で向かった方がいいかもしれません。

◉地下宮殿

イスタンブル旧市街は起伏に富んだ町です。
高い丘の部分には、モスクがミナレットとともに堂々たる威容でそびえています。
一方で低地部分にも面白い場所があります。
アヤ・ソフィア近くに地下貯水池、地下宮殿が広がっています。
スルタンアフメト地区のローマ時代の貯水池です。
コリント式の円柱で支えられた広大な地下空間で、ヴァレンス水道橋(378年完成)を通じて市街のはるか西の郊外の水源地から引かれた水がたくわえられています。
ビザンティオン時代のメデューサの頭部が円柱台座に使われており、コンスタンティヌス1世の異教徒嫌いを象徴しているといいます。
地形や建物が好きな人なら、たまらない場所です。
「地下宮殿」という呼び名もロマンがあります。

地下宮殿の貯水池。このダンジョン感はたまらない。

地下宮殿の貯水池。このダンジョン感が良い。


地下宮殿のメデューサ頭部。ローマの一神教への移行を象徴する。

地下宮殿のメデューサ頭部。ローマの一神教への移行を象徴する。

◉バザール

バザールの雑踏や熱気も魅力的です。
とにかく声をかけられますが、中東地域独特の市場の雰囲気を味わえるのは魅力です。
グランバザールでは、インドネシアやアブダビ、ロシアなどさまざまな地域の人が働いており、国際色豊かでした。

グランバザール。メフメト2世の時代から整備が進んだ。

グランバザール。メフメト2世の時代から整備が進んだ。


グランバザール。天井を覆ったアーケードになっている。

グランバザール。天井を覆ったアーケードになっている。


エジプシャンバザール。ハレムの女主人たちが整備を進めた。

エジプシャンバザール。ハレムの女主人たちが整備を進めた。


エジプシャンバザール。主に香辛料や医薬品を扱った。

エジプシャンバザール。主に香辛料や医薬品を扱った。

◉イスラム回帰するアヤ・ソフィア

トルコ共和国が建国され、アヤ・ソフィアは無宗教の博物館となっていました。
しかし、近年イスラム教のモスクへと回帰する動きとなっています。
トルコ共和国政府は2020年5月29日、コンスタンティノープル征服567周年記念式典を開きました。
アヤ・ソフィアで、イスラム教の聖典『コーラン』を朗読したことに対して、ギリシャ共和国政府は「世界中のキリスト教徒への侮辱」と抗議。
トルコのエルドアン大統領は2020年7月10日、世界遺産イスタンブール歴史地区を代表する旧大聖堂アヤソフィアを再びイスラム教のモスク(礼拝所)とする大統領令に署名。
2020年7月24日、アヤソフィアはモスクに回帰して「アヤソフィア・ジャーミー」となり、86年ぶりとなる金曜礼拝が行われました。
キリスト教のモザイク画については礼拝時には布で覆いがかけられ、トルコ政府は「モスク化」後も外国人や観光客の立ち入りを認める方針を示し、礼拝以外の時間帯は観覧できるとしています。
観光客の入場料が無料化されることから、年間60億円の収入減は確実と報じられています。

この100年間、宗教との距離を置いてきたトルコが、アヤ・ソフィアの位置付けを巡り、イスラム回帰していくのは興味深いです。
トルコにとって観光は重要な施策であっても、それを犠牲にしてでもナショナリズムや宗教色を強めているように感じます。
世界遺産としての位置付けもどうなるのでしょうか。

ローマ帝国時代のキリスト教聖堂でありオスマン帝国のイスラム教モスクという、時代を超えて二つの文明の特性を兼ね備えるアヤ・ソフィア。
多様な文化の競合と融合を感じ取ることができて、とりわけ魅力を感じます。
この文明の境界領域ともいえる地域は、トルコ以外にもスペインや、シチリア島などにも見られます。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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■参考サイト
GoTurkey / Best Photography Spots in İstanbul

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くろひよ

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