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✔︎ 名建築が残る馬場花木園
✔︎ 竜伝説が残る二ツ池
■ 概要
こんにちは!
くろひよです!
本日は横浜市の鶴見区をご紹介!
鶴見駅の西側は、標高10mの低地と標高45mの台地が複雑に入り組んだ地形をしています。
鶴見駅をスタートし、總持寺から西へ向かい、途中北上して、二ツ池公園へと至るまでの約10kmの凸凹地形をご紹介していきます。
① 總持寺
鶴見駅の西口を南へと向かうとすぐに總持寺に至ります。
總持寺は、永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山。
1911年に石川県鳳至郡門前町から移転してきました。
境内には仏殿、大祖堂をはじめ、鶴見大学などの学校施設もあるため学生も多く往来しています。
總持寺のエリア自体が、大きなスリバチ地形にあり、東から西へと伸びる低地に、三門へ向かう参道があります。
三門をくぐると北の高台に向かって仏殿などの堂宇が配されています。
總持寺三門
巨大な三門は、1969(昭和44)年落成の鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさ。
三門の左右に配置される金剛力士(仁王)像は、元横綱・北の湖をモデルにしたようです。
總持寺三松閣
三門の向かって右側に、切妻造り鉄筋コンクリート三松閣があります。
この建物の下は溜池になっており、總持寺のスリバチの中では最も標高が低い場所となっています。
ちなみに地元の方によれば、参道はかつてもっと東に伸びており、現在の鉄道路線と交差し突き抜けていたようです。
参考)總持寺
② 鶴見花月園公園
總持寺のスリバチを南側に登っていくと、高台の鶴見花月園公園にたどり着きます。
開放的で見晴らしの良い公園で、横浜ベイブリッジや横浜ランドマークタワーが遠望できます。
ここには、かつて花月園遊園地がありました。
1914(大正3年)年に平岡廣高によって「花月園」の名称で開園。
フランスのフォンテンブローの遊園地をモデルに造成したとされ、動物園、噴水、花壇、ブランコなどから、大山すべり、豆汽車などのアトラクションがあったそうです。
宝塚遊園地の宝塚歌劇団にならって花月園少女歌劇団を結成し「西の宝塚・東の花月園」とまで評され、1925(大正14)年に入場者数はピークを迎えます。
終戦後1946(昭和21)年11月に閉園。
その後、跡地に花月園競輪場が設置され、2010(平成22)年まで続きました。
公園にはかつての競輪場の痕跡が残っていることがよくわかります。
③ 寺谷の窪地
鶴見大付属の中学高校の西側の崖を降りていきます。
急峻な擁壁はボルトで補強されています。
📕『横浜・川崎・鎌倉凸凹地図』は、高低差を反映した地図。眺めているだけでも楽しめます。
④ 曙橋下の窪地
そして、さらに西側の崖を登っていきます。
高台の道路と、低地の屋根が同じ高さの坂を降りていくと(二反田坂)、南北を結ぶ第二京浜とぶつかります。
第二京浜は、台地を切通しをして道が造られています。
第二京浜を渡り西に進みます。
途中、暗渠(川跡)を確認しながら進みます。
方向を北側に向けると、
東芝馬場町コーポと、鶴見馬場町ファミリーマンションの間に、崖を上る175段の大階段があります。
愛宕坂と呼ばれ、寺尾城主諏訪氏の馬術上達祈願所「愛宕社」が山頂にあったようです。
17mから一気に42mまでと、高低差25mくらいあります。
これを登っていきます。
キツいです。
しかし、登り切るとやはり見晴らしは素晴らしい。
⑤ 配水池下の窪地
台地の北側には馬場町公園があり、眼下が台地に囲まれた窪地になっていることがわかります。
対岸にある配水塔が印象的です。
この窪地を北東側から降りていきます。
かつての水田で利用したであろう農業用水跡が見受けられます。
⑥ 田中弁天
米の収穫があまりよくなかったようで弁財天を祀り五穀豊穣を祈っていました。
📕『横浜・川崎・鎌倉スリバチの達人』は、上記地図と関連した解説書。こちらもまち歩きにおすすめです。
⑦ 寺尾城址
さらに西の高台を目指していくと、そこは中世の寺尾城址。
通称「殿山」と呼ばれる台地縁辺部に所在しています。
空堀や土塁が残されています。
南に向かって二股に分かれた台地で、標高40mほどの高さです。
15世紀前半に小田原北条氏家臣の諏訪氏により築城されました。
いつ廃城となったのか判然としませんが、
1569(永禄12)年の、武田信玄による小田原攻めの際、第5代城主・諏訪右馬之助が小田原城の守備に出向いて留守の間に、武田軍に攻められ、落城したとする説。
五代目馬之丞の時、天正3(1575)年に落城したとする説があるようです。
台地上の住宅地に石碑があります。
⑧ 馬場稲荷
城の西側には馬場稲荷が残されています。
馬にちなむエピソードが多い気がします。
稲荷から南、西、北へと低地のスリバチ地形の奥へと進んでいきます。
⑨ 入江川せせらぎ緑道
入江川せせらぎ緑道という、住宅街に長い距離の水路があり、東から西に向かって流れに沿っていきます。
入江川は、都市化による工場や家庭からの排水、ごみの不法投棄などで汚染されました。
そこで川を改修して、住宅の合間に小川のせせらぎと1kmの散策路がつくられたそうです。
参考)入江川せせらぎ緑道
⑩ 馬場の赤門
緑道を進む道をそれると、「馬場の赤門」という立派な門が残されています。
江戸時代末期に周辺4か村の総代名主を務め、名字帯刀を許された澤野家の門です。
⑪ 馬場花木園(ばばかぼくえん)
北側のスリバチへの突き当たりには、馬場花木園が整備されています。
ボタン、梅、つつじ、しゃくなげなど、四季を通じて楽しめる花木とハナショウブの咲く池を中心とした和風庭園。
ということで横浜市の管理となっています。
園内には、旧藤本家住宅があります。
江戸末期から明治初期に、現在の港北区篠原に建てられた茅葺屋根の民家(農家)を、旧馬場村の澤野家が購入し、1913(大正2)年にこの地に移築したものです。
また、建築家・大江匡(プランテック総合計画事務所)さんにより設計された“横浜の茶室”があります。
長閑なスリバチに囲まれた庭園で癒されます。
⑫ 神明社
馬場花木園の北側の崖を登っていくと、台地上に神明社。
さらに北側へ向かい、再び低地に降りていきます。
川跡らしき場所を抜けていきます。
⑬ 渋沢稲荷下の窪地
西に向かうと渋沢稲荷神社。
毎日参拝しているという古老によれば、火災で社が焼けて現在の社の位置になったとのことです。
⑭ 獅子ヶ谷
再び北側の台地を登り、獅子ヶ谷小学校の北側の崖を降りていきます。
⑮ 二ツ池公園
獅子ヶ谷を降りた低地を北に向かうと二ツ池に辿り着きます。
慶長年間(1596〜1614年)に地域の名主であった横溝家によって整備された農業用ため池です。
かつては、大きな一つの池でしたが、駒岡村と獅子ヶ谷村にまたがって作られていたために、水の領有権争いが絶えず、池を2つに分けたようです。
この二ツ池には、真ん中を区切った堤があり「竜の体である」という伝説が両村に伝えられています。
かつては堤に立ち入れたようですが、現在は入れないようです。
■ 歩き終えて
横浜は、同じ関東平野でも、東京や埼玉などと比べると高低差が著しいです。
富士山に、より近いことから火山堆積物が多かったのでしょうか。
尾道や長崎などの坂の街を連想します。
高低差のある街は、景観的にも映えるように思います。
今回のルートは、概ね住宅地が多くて、観光スポットが必ずしも多いわけではありません。
しかし、寺尾城など渋いスポットもあり、地形だけでなく歴史好きにも楽しめると思います。
■ 行き方
JR鶴見駅(神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1丁目1-1)西口からスタート