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【ビジネス】『無理ゲー社会』の学び

2021年8月9日

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【ビジネス】『無理ゲー社会』の学び

✔︎ 自分らしく生きられる社会はどんな社会?
✔︎ 資本主義は悪?
✔︎ 格差社会は終わらないの?
✔︎ FIRE(経済的自由)と関係あるの?
✅ 自分らしく生きる社会がわかる
✅ 資本主義の深層がわかる
✅ 格差社会の深層がわかる
✅ FIREムーブメントの源流もわかる

投資や経済のフィクション・ノンフィクションを手がける橘玲さん。
📕『無理ゲー社会』(橘玲)から現代社会の深層を学びます。

■リベラル化する世界

これまで繰り返し、「日本も世界もリベラル化している」と述べてきた。
ここでいう「リベラル」は政治イデオロギーのことではなく、「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが〝自分らしく生きられる〟社会を目指すべきだ」という価値観のことだ。
「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、これは 1960年代にアメリカ西海岸(ヒッピームーヴメント)で始まり、その後、パンデミックのように世界じゅうに広がっていったきわめて奇矯な考え方だ。
数百万年の人類の歴史のなかで、ほとんどのひとは「自由に生きる」などという奇妙奇天烈なことを想像したことすらなかっただろう。

これはもちろん素晴らしいことだが、光があれば闇もあるように、この理想にはどこか不吉なところがある。
リベラルな社会で「自分らしく生きられない」ひとはいったいどうすればいいのか?

歴史を振り返れば「自由に生きる」という発想は、近代でも難しく、現代世界になってはじめて生まれたものです。
たとえば、江戸時代。
職業選択の自由はなく、住む場所も決められ、結婚相手も自分が所属する共同体の中で決められていました。
その際、出自や身分、職業によって厳格な差別があったことは言うまでもありません。
近代に入り、国家は国民国家となり、人々の身分は「国民」に統合されます。
二度の世界大戦を経て、平和な時代になってはじめて、経済的恩恵を享受するとともに「自由に生きる」発想が可能になりました。

■リベラル化した世界の3つの変化

リベラル化の潮流で「自分らしく生きられる」世界が実現すると、必然的に、次の3つの変化が起きる。

① 世界が複雑になる
誰もが「自分らしく」生きる社会では、社会のつながりは弱くなり、わたしたちは「ばらばら」になっていくのだ。

マイノリティが社会に包摂されるようになるにつれて、社会により深い分断線が引かれることになった

② 中間共同体が解体する
自助・共助・公助のうち、中間共同体が担う共助がなくなれば、あとは自助と公助しか残らない。
人類史上未曾有の超高齢社会に突入した日本は 1000兆円を超える借金を抱え、これ以上の公助の余地はかぎられる。
そうなれば必然的に、自助(自己責任)が強調されるようになるだろう。──これが「ネオリベ化」

「自由」と「責任」がコインの裏表の関係にあることだ。

③ 自己責任が強調される
ひとは自由な選択のみに責任を負うべきであり、責任のないところに自由はない。

「リベラル」な社会では、身分や階級だけでなく、人種・民族・国籍・性別・年齢・性的指向など、本人が選択できない属性による選別は「差別」と見なされる。
しかしそれでも、入学や採用、昇進や昇給にあたって志望者を区別(選別)しなければ組織は機能しなくなってしまう。
この難問を解決するには、「属性」でないもので評価する以外にない。
それが「学歴・資格・経験(実績)」で、これらは本人の努力によって向上できるとされた。

自由になった分、責任が生じる。
一見、違和感なく受け入れられる理屈です。
しかし、リベラル化の考えを推し進めると、以下のように適応できない存在が浮かび上がります。

■リベラル化した世界の影

知識社会においては、当然のことながら、もっとも重要な能力は「知能」だ。
問題なのは、知能の分布に大きなばらつきがあることだ。
マイケル・ヤング(私注:英社会学者。メリトクラシーという言葉を作る)がすでに 60年前に見抜いたように、これはあまりに危険な事実なので、リベラルな社会は知能のちがいを「学力」で隠蔽し、「教育によって誰もが知能 学力を伸ばせる」という壮大な教育神話をつくりあげた。

知識社会というのは、定義上、知能の高い者が大きなアドバンテージをもつ社会であり、知識社会における経済格差は「知能の格差」の別の名前なのだ。

行動遺伝学が半世紀にわたって積み上げた頑健な知見では、知能の遺伝率は年齢とともに上がり、思春期を終える頃には 70%超にまで達する。
この科学的事実(ファクト)を認めることを現代のリベラルな知識人は一貫して拒絶しているが、 1950年代は知能が遺伝することは当然の前提とされていたのだ。

並外れた才能も、世間を震撼させる凶悪犯罪も、いまでは遺伝的な要因が大きいことがわかっている。

知能の影響を否定しようとするひとたちは、意志力のような「成功に役立つ性格」を過大評価し、「頑張る」ことを成功の条件とする。
これを逆にいうと、「頑張れない(努力しない)ひと」は支援される資格がないのだ。
知能による選別を否定すると、その空白を、性格(頑張っているか、いないか)による選別が埋めることになる。
テストの点数で序列化されるのと、性格(人間性)を否定されることの、どちらがより残酷だろうか。

リベラルの理想を信じるひとたちは、現代社会で起きているさまざまな社会問題をリベラルな政策で解決しようとする。
しかしこれは話が逆で、じつは「リベラル化」がすべての問題を引き起こしている。
わたしたちは「自由な人生」を求め、いつのまにか「自分らしく生きる」という呪いに囚われてしまったのだ。

リベラル理想派は、「頑張る人」を支援しますが、「頑張れない人」を支援しません。
しかし、遺伝が、知能だけでなく、頑張るかどうかという性格にまで影響する可能性が高いようです。
そうなると、本人努力で解決できない問題が生じたとき、リベラル理想派の考えでは、相手の性格・人間性を否定することになり、自尊心を奪いかねません。

■資本主義と富の偏在

「借金」を使えば、2割(600万円)の頭金と 35年返済の住宅ローンでいますぐマイホームが手に入る。
このように考えれば、金融機関に支払うローンの金利は、「(時間を超えて夢を実現する)タイムマシンの乗車賃」だ。
ここから、なぜ資本主義(高度に発達した金融市場)が世界じゅうに広がっていったのかがわかる。
それは「夢をかなえたい(自己実現したい)」と願うひとたちにとって、ものすごく魅力的なシステムなのだ。

株主の権利を市場で売買できるようにした。
これが株式市場で、リスクを分散して事業に投資するだけでなく、権利を売却して投資を回収できるようになったことで、株式会社のファイナンスは飛躍的に拡大した。

こうした仕組みなしに、事業運営をすべて自己資金でやらなければならないとしたら、イーロン・マスクがロケットを宇宙に飛ばしたり、電気自動車を走らせるまでに数千年かかるだろう。
このように資本主義のシステムは、庶民の「夢」をかなえるだけでなく、才能あふれる(だが資金はない)起業家の「野望」を実現する超高性能のタイムマシンでもある。

資本主義のレバレッジシステム(夢をかなえるタイムマシン)は、総体としては人類にとてつもない恩恵をもたらした。
それを〝邪悪〟なものとして否定するのは、控えめにいってもバカげている。

富の分布が同じベキ分布なら、最終的には「中流」は崩壊し、ショートヘッドの「下級国民」とロングテールの「上級国民」に分断される。
これがアメリカで起きていることで、日本やヨーロッパもそれに続くことになるだろう。
前著『上級国民/下級国民』で述べたように、こうして「前期近代(ベルカーブ)」から「後期近代(ロングテール)」への移行が完結するのだ。

資本主義は、人類の夢の実現を株式市場を通じて推し進めました。
同時に資本主義がもたらした富の分布は、上級国民(少数派だが富の総量は多い)と下級国民(多数派だが富の総量は少ない)との格差を生み出しました。
この格差を解消し、平等な世界を実現するのに何が必要となるのでしょうか。

■平等な世界をもたらすもの

アメリカの歴史学者ウォルター・シャイデル(暴力と不平等の人類史: 戦争・革命・崩壊・疫病)は、古代中国やローマ帝国までさかのぼり、人類の歴史には平和が続くと不平等が拡大する一貫した傾向があることを見出した。
ではなにが「平等な世界」をもたらすのかというと、それは「戦争」「革命」「(統治の)崩壊」「疫病」の四騎士だ。

シャイデルは人類史において、「四騎士」がいなければ社会の格差は開く一方だという。
わたしたちが目にしているロングテールの世界(私注:少数派の上級国民に富が集中する世界)は、第二次世界大戦後の「とてつもなくゆたかで平和な時代」が生み出したものだ。

シャイデルによれば、そのもっとも効果的な手段は「核戦争」で、気候変動による砂漠化も「第五の騎士」になる可能性があるという。

いわゆる「下克上」(下位の者が上位の者に打ち克つことで身分秩序の逆転を目指す)というのは戦国時代の代名詞です。
現在も続く体制崩壊や無差別テロは、下位の者が引き起こす不平等を解消しようとする動きだということがわかります。
ただし、物騒ですね。
テクノロジーの発達が格差解消に希望を示してもいます。

■希望の四騎士

30年前(1991年)の家電量販店の広告には、 15種類の携帯端末型の電子機器が並んでいた。
ところがいまや、計算機、ビデオカメラ、クロックラジオ、携帯電話、テープレコーダーなどそのうち 13種類がポケットサイズの 1台のスマホに収まっている。

経済学者のアンドリュー・マカフィー(MORE from LESS(モア・フロム・レス) 資本主義は脱物質化する (日本経済新聞出版))は、あらゆる経済分野でこうした現象が起きているとして、それを「MORE from LESS」と呼ぶ。
より少量の資源(LESS)から、より多くのもの(MORE)を得られるようになったのだ。

資本主義とテクノロジーの進歩が「脱物質化」を引き起こし、いまや「セカンド・エンライトメント(第二啓蒙時代)」とも呼ぶべき希望に満ちた世界が到来した。
わたしたちは「地球に負荷をかけずにゆたかになれる」のだとマカフィーはいう。

マカフィーは人類を救う「希望の四騎士」として、「テクノロジーの進歩」「資本主義」「反応する政府」「市民の自覚」を挙げている。

それでは、資本主義とテクノロジーが進化した未来に何が待ち受けるのでしょうか。

■夢が実現した世界

テクノロジーの進歩で「とてつもなくゆたかな世界」が実現し(温暖化問題もなんらかの方法で解決され)、経済格差がなくなったとしよう。
労働はロボットが行ない、世界のすべてのひとが「健康で文化的」な生活ができるじゅうぶんな貨幣を国家(世界政府)から分配され、働かなくても生きていけるようになる。
このような〝人類の夢〟が実現したら、なにが起きるのか。
それが「評判格差社会」への移行だ。

将来、テクノロジーの指数関数的(エクスポネンシャル)な高度化によって「技術」と「魔術」の区別がつかなくなり、地球上のすべてのひとに「ゆたかさ」が分配されるかもしれない。
そのとき社会は、より多くの貨幣を獲得しようとする「資本主義経済」から、より多くの評判を獲得しようとする「評判経済」へと変わることになる。
評判の分布は、富の分布よりもはるかにロングテール構造になりやすく、そのうえ貨幣とちがって再分配が困難だ。

『サピエンス全史』が世界的ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリは、社会が「エリート層」と「無用者階級」に分断される一種のテクノロジー・ハルマゲドン説を唱えている。
今後、IT(情報テクノロジー)とバイオテクノロジーが指数関数的に高度化していくにつれ、それを自在に利用できる一部のエリート層に権力が集中し、ビッグデータを使ったアルゴリズムによる「デジタル独裁政権」が樹立される。
エリートたちは遺伝子編集技術で知能や身体能力を強化したデザイナーズベイビーをつくり、この「ホモ・デウス(神人)」たちが〝デザインされていない一般人類〟とは別の社会を形成していくのだという。

レイ・カーツワイルは、「われわれはこれから100年で、2万年分の技術変化を経験することになる」と述べる。
「これからの1世紀で、農業の誕生からインターネットの誕生までを2度繰り返すくらいの変化が起こる」のだ。
気候変動による7億人の移住、都市への大規模な移住、ヴァーチャル世界(仮想現実、拡張現実)への移住、宇宙への移住、そして「個人の意識」のクラウドへの移行だ。

次のステップは、人間の脳をクラウド経由でシームレスにインターネットにつなぐことだ。
これによって、「クラウドベースの集団意識への移行」が可能になる。

すべての人類がヴァーチャル空間でつながり、「超知能」となって融合するなら、もはや一人ひとりの生得的なちがいはなんの意味もなくなり、経済格差や評判格差、モテ/非モテの格差などあらゆる格差は消滅するだろう。

■結局のところ

資本主義は、「自分らしく生きたい」「より幸せに(ゆたかに)なりたい」という〝夢〟を効率的にかなえる経済制度としてまたたくまに世界じゅうに広がった。
その資本主義がいま、ある種の機能不全を起こしているのは確かだろう。
だが資本主義を「脱却」したあとには(もしそのようなことができるとして)、より効率的に〝夢〟をかなえる未来がやってくるだけだ。

ヒトの脳に埋め込まれた「欲望」のプログラムは変わらないから。
わたしたちは、ものごころついてから死ぬまで、「自分らしく生きる」という呪縛にとらわれ、あがくほかないのだ。

ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちこちで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。
これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。
「リベラル」を自称するひとたちには受け入れがたいだろうが、リベラル化が引き起こした問題をリベラルな政策によって解決することはできない。
すべての〝不都合な事実〟は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。

■FIRE視点のまとめ

FIRE(経済的自由)やセミリタイアを目指す考えは、まさに「自分らしく生きる」「自由に生きる」というリベラルな考え方を基軸としています。
これらは、資本主義の進展とともに、ここ半世紀程前に生まれた新しいアイデアになります。

さて、リベラルな社会では、自分らしくやった結果、失敗したら自己責任、自分の能力不足が原因です。
言い訳ができないのがリベラル社会ということになります。
他人の責任にできず自らを責めて苦しむ人がいるでしょうが、日本は厳しい状況とはいえ、世界の国々と比べればまだ全然恵まれた環境だと思います。

将来的にはテクノロジーにより、資本主義が生み出してきた経済的格差や評判格差が解消される日が来るのかもしれません。
とはいえ、現時点の特にコロナ禍において、各国中央銀行による金融緩和によって、富を持つものは益々富を獲得する一方で、そうでないものとの経済格差は増すばかりです。
これは著者の表現では、上級国民と下級国民という概念と重なる部分です。

FIREを目指す視点では、世界や日本が以上の格差環境になっていることを認識した上で、どのように対策をとっていくかが重要です。
現状では問題があるとはいえ、資本主義が揺らぐことはないでしょうからそれに合わせていきましょう。
具体的には、当ブログでお伝えしているとおり、自分の価値観を明確にし、ムダな出費をせず、それを適切な投資に回します。
同時に、個人の稼げる力を身につけていくことです。
健康と人間関係にも気を配りましょう。
それが「自分らしく生きる」「自由に生きる」ことにつながります。
第一歩となる自分の価値観を明確にし、ムダな出費をしないことは、日本人であるならば可能なはずです。

📕『無理ゲー社会』(橘玲)

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くろひよ

\旅のトリコ、FIRE目指す/ 旅のトリコくろひよが、旅の魅力とFIREの過程を紹介するよ ★街を徘徊して見つけた都市の魅力が好物 ★歴史・地理・地形・建築・文化・アート・痕跡・再開発など ★同じくらいお金が好物(アッパーマス層に)

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