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✔︎ フランスの尊厳王が関わった「驚異の建築」ラ・メルヴェーユが表現した価値観がわかります
✔︎ 「ゴシック建築」の特徴がわかります
実際の旅行経験を踏まえ、大人気世界遺産モン・サン・ミシェルの魅力を歴史から見ていきます。
■モン・サン・ミシェルとその湾の概要
フランスの北西部ノルマンディー地方にあるモン・サン・ミシェルは、8世紀に海岸に浮かぶ岩山に、修道院が建てられたことをきっかけに信仰の拠点として発展してきました。
潮の干満が激しい場所で、満潮時に岩山は海中に孤立するため、その独特の景観に魅せられ多くの観光客が訪れています。
■登録基準
(i) 人間の創造的才能を表す傑作である。
(ⅲ) 現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(ⅵ) 顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作 品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
■モン・サン・ミシェルとその湾の歴史
◉司教オーベルと大天使ミカエル
かつてはモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ、先住民ケルト人の信仰の岩山であった。
ケルト人は、ゲルマン人が侵入する以前の西ヨーロッパを支配した民族。
708年、アブランシュ司教オーベルの夢に大天使ミカエルが岩山に聖堂を立てるよう告げた。
これがモン・サン・ミシェル(「聖ミカエルの山」の意)で修道院を建設する始まりとなる。
カトリック教会では、ミカエルを、ガブリエルやラファエルと並ぶ三大天使の一人とし、守護者というイメージから山頂や建物の頂上に像が置かれていた。
ルネサンス期、ミカエルは燃える剣を手にした姿で描かれるようになった。
右手に剣、左手に秤を持つことから、武器と秤を扱う職業の守護者、兵士の守り手、キリスト教の守護者となり、十字軍兵の崇敬を集めていた。
◉ノルマンディー公の時代:大修道院教会
966年、ノルマンディー公リシャール1世(無怖公。933〜996年。初代ノルマンディー公ロロの孫)は、岩山にベネディクト会修道院(529年、ベネディクトゥスがモンテ・カッシーノに創建。)を建造した。
以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めるようになる。
1022年、ノルマンディー公リシャール2世(善良公。963〜1026年)の援助により、ロマネスク様式の「大修道院教会」が建てられることになった。
このとき、オーベルの聖堂は、大修道院の地下礼拝堂に建て替えられ「ノートル・ダム・スー・テール聖堂」と呼ばれた(18世紀復元現存)。
ただ、大修道院の北側の身廊は11世紀に崩壊し(12世紀修復)、ロマネスク様式の内陣もまた15世紀に崩壊してしまった。
◉フランス王の時代:ラ・メルヴェーユ
庇護者は、ノルマンディー公からフランス王へと代わり、1228年、フランス王フィリップ2世(尊厳王。1165〜1223年)により、大修道院北側に「ラ・メルヴェーユ(驚異の建築)」というゴシック様式の建築がつくられた。
ラ・メルヴェーユは、3層の2つの建物で構成されて6つのエリアに分かれている。
3層構造は、中世の聖職者が考える理想的な社会階級が象徴されている。
【最上階:修道士に対応】
・東棟:「修道士の食堂」
・西棟:「回廊式中庭」(瞑想の場)
【2階:貴族に対応】
・東棟:「客間」
・西棟:「騎士の間」
【1階:貧者に対応】
・東棟:「礼拝堂付き司祭の間」
・西棟:「貯蔵庫」
最上階から、神に祈りを捧げる「修道士」、神のために戦う「貴族」、そして「貧者」という序列が表現されているのである。
なお、文豪ヴィクトル・ユゴー(1802〜1885年。『レ・ミゼラブル』著者)は、この「驚異の建築」の北側ファサードを「世界一美しい壁だ」と讃えた。
現在残るラ・メルヴェーユは東西2つの建物で構成されているが、フィリップ2世による着工当初は、もう一つの建物が建設される予定であった。
実現されなかったのは、アッシジの聖フランチェスコ(1182〜1226年。フランシスコ会の創設者。清貧、悔悛、「神の国」を説く。)の登場により、ベネディクト派修道会にも清貧の教えが及び建設工事が中止になったという。
ゴシック建築とは
「ゴシック建築」は、神の光に満ちた空間の再現を目的としている。
具体的には、天を目指すような高い建物や、光を取り入れるステンドグラスで表現されている。
それを実現するために、尖った先端から緩やかに弧を描きながら長方形に下りてくる「ポインテッド・アーチ」、石材やレンガといった重い材料を立体的に造形した天井(ヴォールト)を交差させた「交差リブヴォールト」、ヴォールトの横への応力を支持するための「フライング・バットレス」といった構造を持つ。
12世紀から15世紀にかけて建造され、サン=ドニ大聖堂(パリ)、ノートルダム大聖堂(パリ)、シャルトル大聖堂(シャルトル)、ケルン大聖堂(ケルン)、シュテファン大聖堂(ウィーン)、聖ヴィート大聖堂(プラハ)、ミラノ大聖堂(ミラノ)などが代表例である。
フィリップ2世
フィリップ2世は「フィリップ・オーギュスト」の名で知られるカペー朝7代目の王。
欠地王ジョンとの競合で、イングランド王家の大陸領土の大部分を回収に成功し、ブーヴィーヌの戦い(1214年)により、神聖ローマ帝国・イングランドに対する優位を確立した。
また、アルビジョア十字軍を利用して、南仏ラングドックやブルゴーニュにまで王権を拡大させた王である。
◉百年戦争の時代:要塞化
英仏百年戦争(1337年のエドワード3世によるフランスへの挑戦から、1453年のイングランド支配下のボルドー陥落までの116年間の対立)の時代、イングランド軍の侵攻に備え、修道院は閉鎖された。
大修道院の崩壊した内陣の修復をする暇はなく、代わって城壁や塔が築かれるようになりモン・サン・ミシェルは要塞と化す。
百年戦争に目処がつく頃、修道院長ギョーム・デストゥヴィユは、大修道院を地味な修復ではなく、盛期ゴシック様式で建て直すことを指示した。
この工事は1450年に着工し、1521年に中止している。
というのも、この時期には王侯貴族はロワール川周辺に居城を建て始めている時代であり、時代の流れから中止となったようだ。
結果として、大修道院協会は、ロマネスク様式の翼廊と、盛期ゴシック様式の内陣を残した異なる建築理念を兼ね備えた建物となった。
なお、20世紀半ばまで修道院は閉鎖されたままとなる。
◉宗教戦争の時代
16世紀の宗教戦争では、カトリック教徒(旧教)が籠城に使用した。
ユグノー教徒(新教)との争奪戦を繰り広げた。
◉フランス革命の時代:監獄
18世紀のフランス革命(1789年)では、囚人の監獄に使用され「海のバスティーユ」とも呼ばれた。
1792年から1863年の間に、革命に反対する聖職者、反乱を起こしたヴァンデ党員(フランス西部の農民反乱)などが送り込まれた。
この頃の食物を監獄内に届けるための大車輪が残っている。
◉ナポレオン3世の時代以降:修道院の再興
1863年に監獄は閉鎖となる。
中世建築を文化財として評価する動きが高まり、ヴィクトル・ユゴーの働きかけにより、ナポレオン3世(1808 - 1873年。第二共和政大統領、第二帝政の皇帝。ナポレオン・ボナパルトの甥。)は、1865年にモン・サン・ミシェルを修道院として復興させた。
1892年から1897年にかけて、ヴィクトル・プティグランにより、ネオ・ロマネスク様式の鐘楼、ネオゴシック式の尖塔、そして金塗りの大天使ミカエル像が置かれ、現在の姿に至る。
このような経緯から、モン・サン・ミシェルの建築様式には多様な様式が混在するようになった。
19世紀後半、アブランシュの街と結ぶ防波堤が築かれた。
しかし、防波堤は潮流に影響を与え、岩山周辺の海底を100年間で3m上昇させた。
近年、防波堤が撤去され、2015年には潮流に影響を与えない橋が完成した。
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■参考ガイド・グッズなど
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📕教会建築の歴史に特化したもので、西洋建築の源流がわかります。
📕西洋の城が100箇所紹介されています。日本の100名城は有名ですが、西洋も認定されています。
📕モン・サン・ミシェルで有名なラ・メール・プラールを扱った貴重な一冊です。
🎁モン・サン・ミシェルの有名なお土産のサブレです。
🎁ショコラ味もあります。
■実際に訪れてみて・・・
離れた場所から見た聖なる山のフォルムは、映画の舞台のようであり実に美しい姿でした。
中世の人々が信仰心を抱くのに十分なロケーションであると納得します。
城内(岩山の中)は、小さなお店が立ち並んでいます。
城壁に沿って岩山をさらに登れば、英仏海峡を眺望でき百年戦争に想いを馳せることもできます。
イングランド軍が残したとされる大砲も飾られていました。
眼下のサン・マロ湾は、満潮と干潮との水位差は15mにも達し、世界屈指の干満差であるということです。
夜は観光客がいなくなり、静かな雰囲気となります。
ラ・メール・プラールの看板。
19世紀、アンネット・プラール夫人のオムレツの美味しさが有名となり、モン・サン・ミシェルのご当地グルメとなっています。
まあ、普通の味であったと思います。
お土産のサブレもただのサブレですが、なんとなく買ってしまいます。
昼の姿、夜の姿のどちらもお勧めなので、一泊する価値はあると思います。
自分の場合、パリからのオプショナルツアーに参加して一泊しました。
これほどの景観は世界でもなかなか見ることはできないと思うので、ぜひご検討ください。
近年、蓄積する土砂対策により、潮流に影響を与えず、本来の姿を取り戻そうと橋が設けられました。
自然環境への影響を最小限にとどめ本来の姿に戻し、観光との両立を図ろうという取組に好感が持てます。
最後までご覧いただきありがとうございます。
■参考サイト
Explore France モン・サン・ミシェル修道院